蜂楽饅頭

「ほうらくまんじゅう」を初めて漢字変換したら「崩落饅頭」と出ました(コレ、どうしても書きたくて)。

「蜂楽饅頭」という言葉を私が初めて聞いたのは、十数年前、熊本に引っ越して来てからです。

私の中で、このような食べ物の名称は「回転焼き」でしたが、当地では、蜂楽饅頭のようです。

販売店は県内外に何カ所かあるようですが、私は上通の熊本本店でしか、買ったことがありません。

ていうか私はもともと、自分からお菓子や甘いものを買うことは控えています。

甘いものは好きです。が、だからこそ、自分では買わないようにしているのです。

なので蜂楽饅頭は、例外中の例外。これは、しょうがない。見つけたら食べたくなります。

上通アーケードを歩いていて、蜂楽饅頭の店舗を目にすると、私のダイエット意識が崩落してしまうのです。

先日久しぶりに、所用で上通付近を歩いたがために、まんまと蜂楽饅頭を買う羽目になりました。

1個100円(税込み)に値上がりしていましたが、税込み100円なので、値段の計算はとても楽です。

しかし簡単な計算なのに、店の窓口には、饅頭の個数ごとの値段が、表にして掲示してあります。親切です。

1個100円、2個200円、3個300円、以下、キリがないほど細かく、1個単位で、値段が書いてあります。

13個で1,300円、37個なら3,700円だということが、一目でわかります。ていうかその値段表、要りますか。

グーグル先生

「グーグル先生」という言葉は嫌いです。そもそもGoogleは先生ではありません。

ネットという巨大な図書館の入口に立って、なにか企んでいる、民間の一案内人にすぎません。

とは言え、Google検索はあまりにも、世の中にも私の生活にも浸透しています。そこで私の心配事は2つ。

(1)情報が操作される

(2)人間がバカになる

より精度の高い情報提供のために、Googleはたびたび、検索機能を改訂してきています。

しかし所詮、営利企業。儲けを出すために、あの手この手で検索結果を誘導してきているはずです、きっと。

いや儲けならまだしも、特定の理念・宗教・思想・信条に偏重する動きはないのか、それが心配。

でも本当に心配しているのは(2)です。世の中、ググり過ぎではないか。自戒を込めて、そう思います。

丸一日、ググらない日を作る、休肝日ならぬ休グ日。語呂が悪いか。

知らないことを調べるとき、とっかかりにググることは、私もよくやります。

一次情報を探し、適切な書籍を見つけ、良質な解説サイトや、読み応えのあるブログにたどり着くためです。

ところが、ググってみたら、トップにいきなりYAHOO!知恵袋が出てきて、ガッカリすることがあります。

言いたい放題書いている、匿名の人間の無責任な回答が、グーグル先生のお答えですか。

おまけに知恵袋には、「まずググったらどうですか」などという、堂々巡りの上から回答もあったりします。

ご機嫌は、なぜななめ?

お子さんが高熱を出すと心配ですが、しかしあわてて来院される前に、いつくかチェック項目があります。

とくに赤ちゃんなら、息づかいと顔色はどうか、ちゃんと哺乳してオシッコが出ているか、機嫌はどうか。

言葉で訴えられない乳幼児では、機嫌の良し悪しが、重症度評価の決め手にもなります。

では、どうして「機嫌」であって「気嫌」じゃないのか。だいたい「嫌」の文字にも違和感があるし。

もともとは「譏嫌」という仏教用語だったそうですね。「譏(そし)り嫌う」という、良くない意味です。

他人の譏嫌を受けないようにする戒律「息世譏嫌戒」(世の譏嫌を息(や)める戒)から来ているとのこと。

これは「人が不愉快と思うような言動は慎みなさい」という意味だそうです。

この「譏」という字が、「機転」にも使われるように心の動きも表す「機」に変わり、「機嫌」になったと。

それならば、「気分」にも使われるように心の動きも表す「気」に変わり、「気嫌」でもよさそうなもの。

なのに「機」の字を選んだのは、「幾」という旁(つくり)が共通しているからでしょうね、きっと。

「機嫌の良し悪し」などというように、もはや「機嫌」に悪い意味はなく、中立的に使われています。

「機嫌を損ねる」に至っては、「機嫌」に良い意味すら含んでいます。こうなると「譏嫌」とは正反対。

「譏(そし)る」意味が失われただけでなく、「嫌」の文字までが無毒化されてしまったのが、不思議です。

「ご機嫌ななめ」はなぜ「ななめ」なのか。この点についての考察は、割愛させていただきました。

かけ算の順序問題

昔からある、かけ算の順序問題を、あらためて考えてみました。

「ひと皿にリンゴが5個、そのような皿が4つあります。リンゴはぜんぶで何個ですか」

「皿が4枚、それぞれの皿にリンゴが5個乗っています。リンゴはぜんぶで何個ですか」

いずれの設問も、式を書いて答えるなら「5x4=20(個)」でも「4x5=20(個)」でもよさそうです。

しかし、かけ算は「ひとつぶんの数xいくつ分」の順に書くのがきまりだ、という考え方があります。

一方で、かける順序などどうでもよい、という合理的な考え方もあります。答えは変わらないからです。

「皿にリンゴが5個、そのような皿がワゴンに4枚、そのようなワゴンが3台。リンゴはぜんぶで何個ですか」

自然に考えると「5x4x3=60(個)」です。リンゴの数が、かけ算で増えていくイメージが分かり易い。

これを「4x5x3」としたら、わずかながら違和感を感じます。

さらに「5x3x4」とすると、さらに強い違和感を感じます。かける順序が理に適っていないからです。

まず皿の数に着目して「4x3x5」というかけ順もあるでしょうが、これは少々へそ曲がりです。

かけ算の順序を意識することは、自分が求めようとしているものを、きちんと確認することになります。

その意味では最初に、求めるものの数(リンゴの数)を持ってくるのが、いちばん自然で理に適っています。

正答であればいいという合理性よりも、思考過程の理屈こそ、とりわけ教育上は重要だと思います。

とても楽しい

「全然+肯定形」という「若者コトバ」が、市民権を獲得しつつある、ということは<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-182.html" target="_blank" title="以前">以前</a>にも書きました。

「全然楽しい」なんていう表現は、感覚的にも新鮮なので、私はむしろ好んで使います。

それというのも、この表現は元々正しい用法だということが、世間でも認識されつつあるからです。

ただし元々正しければ今も正しいのか、という疑問は残ります。訳あって用法が変わったとも考えられます。

そのいきさつについては、目下調査中ですが、まだ、結論は出せません。

そのかわり、調査の副産物とでも言いましょうか、別の事例を見つけました。「とても+肯定型」です。

「とても楽しい」なんていう表現は、誰もが使っています。

ところが、芥川龍之介の「澄江堂雑記」には、「とても」という副題の短い文章に、こうあります。

「『とても安い』とか『とても寒い』と云ふ『とても』の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論『とても』と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訣(わけ)ではない。が従来の用法は『とてもかなはない』とか『とても纏(まと)まらない』とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。(後略)」(引用おわり)

「とても」は本来、否定型を伴っていたのに、だんだんと肯定型にも使われるようになったというわけです。

芥川を信じるのであれば、言葉のゆれによって、「とても」の用法が拡大したと考えられます。

一方「全然」は、肯定も使われていた時代から、否定のみが正しいとする時期を経て、現代に至っています。

言葉が往復でゆれて、元に戻りつつある、といったところでしょうか。

はい、いいえ

英語の否定疑問文には、日本人はつい、逆に答えてしまいがちです、少なくとも英語慣れしてない人は。

ところが日本語の場合でも、否定形の疑問文に対しては、面倒なことが起きます。

(A)「熱は出ませんでしたか」「はい」「出てないんですね」「はい」

(B)「熱は出ませんでしたか」「いいえ」「出たんですか」「いいえ」

どちらも発熱していない人の返答ですが、(B)のように英語的に答えられると、逆にわかりにくい。

質問を最後まで聞かないうちに答えようとする、せっかちな人が(B)になるのかもしれません。私もです。

「はい」と答えるかわりに「ですね」や「です」を使う人のことは、前にも書きました。

もう慣れました。ていうか、自分でも使い始めていることに気づきます。「ですよね〜」とか言ってます。

「はい」と言わずに、必ず「あ、はい」と答えるのは、比較的若い人に多いです。

「あ、そのことですね、はい、そうです」というニュアンスでしょうか。

「はい、いいえ」という変な返事はむしろ、中高年の礼儀正しい方が使う言葉です。

「このたびはどうも、お世話になりました」「はい、いいえ」って。

「はい、はい、そのことですね、いいえ、どういたしまして」という意味なのでしょう。

スターウォーズの日

「スターウォーズの日」だったんですね、昨日(5月4日)は。私は今日になって知りました。

1日遅れなので鮮度が落ちますが、ダジャレ好きの私としては、どうしても書いておきたいことなので。

“May the Force be with you”(フォースと共にあらんことを)という、劇中の有名なセリフをもじって、

“May the 4th be with you”(5月4日はあなたと共に)とした、シャレだそうです。

本家Lucasfilmも認める、非公式記念日です。

“Force” と “4th” なんて、学校の英語の時間であれば、厳しくその発音の違いを教えられる単語です。

しかし、“May the Force” と “May the 4th” のひっかけは、英語圏でも堂々と通用するシャレなんですね。

似て非なる発音をこじつけるところは、日本のダジャレと同じです。

このダジャレのオリジナルは、1979年にLondon Evening Newsが掲載した記事だそうです。

5月4日、マーガレット・サッチャー氏が英国首相に就任したのを祝って、

“May the Fourth Be with You, Maggie.” と、その2年前に封切られた映画のセリフをもじったわけです。

こういうユーモアって、オシャレですよね。

似たようなシャレでも、日本ではすぐオヤジ扱いされて嫌われます。どうしてなんでしょうね。

カンピロバクター

この大型連休は、火曜・金曜の定期休診日以外、ずっと診療してます。なので明日はやっと、休めます。

いまだにインフルエンザ(B型)がチラホラ出るのには驚きますが、最近いちばん多いのは胃腸炎です。

カンピロバクターによる細菌性胃腸炎も、ときどき登場します。

先日報じられた、北海道の焼肉店で食事をした中学生の死亡事件も、この細菌による食中毒とされています。

当院で、カンピロバクター感染を確定診断するすべはありません。すべて、状況証拠に基づく診断です。

カンピロバクターというのは、ニワトリなどが保菌している細菌です。

嘔吐や下痢を発症する数日前に、鶏刺しか鶏のタタキを食べた、という人なら、ほぼ間違いないと思います。

ただし潜伏期が2日から5日と比較的長いので、食事内容を数日間さかのぼって、問診する必要があります。

豚肉を生焼けで食べる人はいないでしょう。生の牛肉にも、注意を払うようになりました。

そんな中で、何となく危機感を抱きにくい生の鶏肉は、盲点のような存在です。

鶏肉を切ったまな板から、野菜などの食材を介して、感染が広がることもあります。

自宅ではもちろん料理店でも、食材管理が徹底していなければ、つねに食中毒の危険があるわけです。

まして、バイキング形式の店だと、客が自由に食材に触れるので、清潔面では大いに不安があります。

例の北海道の焼肉店の写真を見ると、バイキング用の肉とサラダと果物のトレーが、近接して並んでいます。

このようなリスキーな店に、どうしても行きたいのであれば、サラダと果物は食べないことですね。

未曾有の演説

安倍首相の先日の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1305.html" target="_blank" title="演説">演説</a>は、外務省発表の日本語版原稿を、何度も読み返しました。よく練られた文章です。

第二次大戦記念碑を訪れたときの逸話は、情景が目に浮かぶような、詩的な描写でした。

『神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり』

「耳朶を打つ」ほどの音の中で「静謐」と感じるのは、芭蕉の句にも共通する、日本的表現かもしれません。

演説の最後で安倍首相は、日米同盟を強調するために、東日本大震災の際の「トモダチ作戦」に触れました。

『米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました』と。

恥ずかしながら私は、「未曾有」は良い意味にも使えるんだと、これを読んで再認識した次第。

この部分は原文(英語版)では、 “at a scale never seen or heard before” となっています。

「未曾有」は「未(いま)だ曾(かつ)て有らず」の意味なので、善悪両方に用いると、辞書にはあります。

しかし実際に使うのはたいてい、「未曾有の大災害」や「未曾有の危機」など、悪い意味です。

あの震災後には、メディアでこの言葉が、何十回も何百回も繰り返されました。

だからこの言葉を、とりわけ震災がらみの話題で、良い意味に使うのは、相応しくないように感じました。

「未曾有の規模で」などと言わず、「かつてない規模で」の方が、すんなり入って来た気がします。

この点は引っかかりましたが、それでもこの演説は、ストーリー性があって、味わい深い文章だと思います。

こういうのを、学校の授業でとり上げてほしいものです。

コレステロールと食事

「コレステロール:『気にせず食べて』動脈硬化学会が声明」という毎日新聞の記事にひとこと。

日本動脈硬化学会はたしかに、昨日、「コレステロール摂取量に関する声明」を出しました。

「コレステロール摂取制限をしたら血中コレステロールが下がった」という証拠はない、と書かれています。

しかし解釈を間違えてはなりません。証拠がないから間違っている、ということにはならないのです。

摂取制限をしても、血中<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1256.html" target="_blank" title="LDLコレステロール">LDLコレステロール</a>が下がるかどうかには個体差が大きい、という話なのです。

こんな例え話はどうでしょう。「カップ麺の摂取を制限したら血圧が下がるか、ガッテン大調査!」

被験者は10人。1カ月間、一切カップ麺を食べない生活を送ります。さて、血圧はどうなるか。

一部の人は、血圧が下がるかもしれません。どんな人かと言えば、

(1)日頃から、毎日のようにカップ麺を食べている人

(2)すでに血圧が高い人

しかし、全被験者を平均するとおそらく、血圧には変化なし、ということになるでしょう。

だからといって「カップ麺、気にせず食べて」と、言ってしまうのは早計です。

コレステロールの摂取制限も同じこと。

(1)日頃から、コレステロール食を多く摂る人

(2)すでに高コレステロール血症の人

このような方には、摂取制限が有効かもしれません。まずは、摂取制限をして調べてみるべきです。

それと同時に重要なことは、コレステロールだけでなく、食事内容全般を見直すことです。

動脈硬化学会の声明をきちんと読めば、そのようなことはすぐにわかります。

ところが新聞記事では、冒頭のような見出しになってしまうのです。

これでまた、食事指導がやりにくくなります。