神経学的異常を疑うときや、意識レベルを診るときに、瞳孔の大きさ、形、左右差や対光反射を観察します。
ただし私の外来の一般診療で、瞳孔の診察、とくに対光反射をチェックすることは、ごくまれです。
対光反射を診る際には、ペンライトが必要ですが、まぶしいので、ある程度弱い光でなければなりません。
ひごろ咽頭部などを診察するときに使っているペンライトでは、光が強いので、目には使いにくいです。
目に光を当てると、瞳孔が小さく縮まります。これが「縮瞳」という状態で、この反応が「対光反射」です。
片方の目にだけ光を当てても、両方の瞳孔が縮瞳します。光を外すと、また元のサイズに戻ります。
瞳孔に実体はありません。「虹彩」の中央にあいた、ただの穴にすぎません。ドーナツの穴と同じです。
その虹彩というのは、カメラに例えれば「絞り」です。網膜に届く光の量を調整しています。
大きさは変化しますが、人間の正常な瞳孔の形はいつも円形です。犬も円形ですが、ネコは縦長です。
「つぶらな瞳」という言葉の意味が、時々話題になります。「大きな目」ではなく「丸い目」の意味ですね。
漢字で「円らな」と書きます。ウルトラシリーズの円谷プロを思い出せば、合点がいきます。
ところが前述したように、人間の瞳孔は円形に決まっています。ならば人類みな、円らな瞳じゃないの?
そうではなさそう。「つぶらな瞳」の瞳は、瞳孔の意味から転じて、目の意味で使われているからです。
ユーミンの歌にもある「瞳を閉じて」という言葉は、おかしいじゃないか、という人がいます。
閉じるのは瞼(まぶた)であって、瞳ではない、というのですが、これも目と考えたら問題ないわけです。