ご機嫌は、なぜななめ?

お子さんが高熱を出すと心配ですが、しかしあわてて来院される前に、いつくかチェック項目があります。

とくに赤ちゃんなら、息づかいと顔色はどうか、ちゃんと哺乳してオシッコが出ているか、機嫌はどうか。

言葉で訴えられない乳幼児では、機嫌の良し悪しが、重症度評価の決め手にもなります。

では、どうして「機嫌」であって「気嫌」じゃないのか。だいたい「嫌」の文字にも違和感があるし。

もともとは「譏嫌」という仏教用語だったそうですね。「譏(そし)り嫌う」という、良くない意味です。

他人の譏嫌を受けないようにする戒律「息世譏嫌戒」(世の譏嫌を息(や)める戒)から来ているとのこと。

これは「人が不愉快と思うような言動は慎みなさい」という意味だそうです。

この「譏」という字が、「機転」にも使われるように心の動きも表す「機」に変わり、「機嫌」になったと。

それならば、「気分」にも使われるように心の動きも表す「気」に変わり、「気嫌」でもよさそうなもの。

なのに「機」の字を選んだのは、「幾」という旁(つくり)が共通しているからでしょうね、きっと。

「機嫌の良し悪し」などというように、もはや「機嫌」に悪い意味はなく、中立的に使われています。

「機嫌を損ねる」に至っては、「機嫌」に良い意味すら含んでいます。こうなると「譏嫌」とは正反対。

「譏(そし)る」意味が失われただけでなく、「嫌」の文字までが無毒化されてしまったのが、不思議です。

「ご機嫌ななめ」はなぜ「ななめ」なのか。この点についての考察は、割愛させていただきました。