「全然+肯定形」という「若者コトバ」が、市民権を獲得しつつある、ということは<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-182.html" target="_blank" title="以前">以前</a>にも書きました。
「全然楽しい」なんていう表現は、感覚的にも新鮮なので、私はむしろ好んで使います。
それというのも、この表現は元々正しい用法だということが、世間でも認識されつつあるからです。
ただし元々正しければ今も正しいのか、という疑問は残ります。訳あって用法が変わったとも考えられます。
そのいきさつについては、目下調査中ですが、まだ、結論は出せません。
そのかわり、調査の副産物とでも言いましょうか、別の事例を見つけました。「とても+肯定型」です。
「とても楽しい」なんていう表現は、誰もが使っています。
ところが、芥川龍之介の「澄江堂雑記」には、「とても」という副題の短い文章に、こうあります。
「『とても安い』とか『とても寒い』と云ふ『とても』の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論『とても』と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訣(わけ)ではない。が従来の用法は『とてもかなはない』とか『とても纏(まと)まらない』とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。(後略)」(引用おわり)
「とても」は本来、否定型を伴っていたのに、だんだんと肯定型にも使われるようになったというわけです。
芥川を信じるのであれば、言葉のゆれによって、「とても」の用法が拡大したと考えられます。
一方「全然」は、肯定も使われていた時代から、否定のみが正しいとする時期を経て、現代に至っています。
言葉が往復でゆれて、元に戻りつつある、といったところでしょうか。