山口のアクセント

視聴率が低迷してNHK会長も怒ったという大河ドラマ「花燃ゆ」は、今夜やっと、奇兵隊が登場しました。

これでドラマにも動きが出て、今後は盛り上がるのでしょうか。長州出身の私としては、それが心配です。

ところで<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-418.html" target="_blank" title="前にも書いた">前にも書いた</a>ように、「山口」という言葉のアクセントは、地元と共通語では異なっています。

地元では、「や」にアクセントのある「高低低低」パターン。ちょうど「仙台」や「ピグモン」と同じ。

ところが共通語では、「ま」にアクセントのある「低高低低」。これは「福岡」や「ピロシキ」と同じです。

ドラマでは、先週の放送回で、長州藩庁が萩から山口へ移され、山口という言葉が頻繁に登場しました。

ところが、多くの登場人物が「や」アクセントで話すのに、主人公の文は「ま」にアクセント。なぜ?

そもそも地名のアクセントは、地元の読み方を優先するべきだと思うのです、共通語でもドラマでも。

いったいNHKは、地元の発音をどう考えているのか。調べてみたらありました。2013年の放送用語委員会。

「NHKの放送でのアクセントは、共通語の範囲内で再現できるものを用いることを原則とします」とのこと。

これはどういうことでしょう。「共通語の範囲内で再現できるものを」という部分が、いかにも意味深長。

つまり、地元民にしか発音できない読み方は困るというわけです。ピンとこないので、具体例を見てみると、

「西宮」:関西弁では「高高高高高」と、全部にアクセントのある平板型。ありゃ、そうですか。

「尼崎」:関西弁では「低低低低高」と、最後にアクセントのある特殊な発音。こりゃまた。

たしかに、地元アクセントをすべて、共通語にすべきとは限らないのかも。でも、山口はどうなんでしょう。

医療へマイナンバー

「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-608.html" target="_blank" title="マイナンバー">マイナンバー</a>」を医療に導入することが、正式に決まったようです。

2017年7月から健康保険証としての利用を始め、以後段階的に、医療情報の共有を目指すとのこと。

「重複検査や重複投薬から解放され、一貫した医療・介護サービスが受けられる」と安倍首相も強調します。

何ですか、その「重複検査や重複投薬から解放」って、人聞きの悪い。

まるで医者が、ムダな検査や投薬ばかりしていると、言わんばかりじゃないですか。

だいたい、1人の医者(1つの医療機関)が1人の患者に、薬をダブって処方することなど、あり得ません。

そんな処方をしたら、たちどころに診療報酬の審査機関からクレームが来ます。

現実に起こりうる「重複投薬」は、複数の医療機関が、同一の患者に、同一成分の薬を処方する場合です。

ときには患者側が、医療機関に内緒で、複数の医療機関から同じ薬の処方を受ける場合だってあります。

知らずに「重複投薬」をしてしまわないように、この点はぜひ、マイナンバーの効果に期待したいものです。

ただし「重複検査」はどうなんでしょう。検査というものは、医療機関によって「質」が異なるからです。

必要性があれば、別の医療機関で再検査をすることなんて、いくらでもあります。

「重複検査」を制限する前に、前医での検査結果を、自由に参照できる仕組みを構築するのが先でしょう。

卓球台を譲る

数年前、卓球台を購入しました。院内で卓球を楽しむためです。ところが実は、ほとんど使ってないのです。

それどころか、ひどく場所をとるので邪魔な存在。どうやって処分しようかと、悩み続けて数年経ちます。

「何でも買い取ります」のような業者に電話してみても、「卓球台はだめです」という業者が多い。

「何でも買い取るんじゃないんですか」と食い下がると、「卓球台は例外です」と、いきなりの例外扱い。

「タダでもいいから引き取ってくれ」と言えば、「サイズが大きいのでそちらで搬送してくれ」と言い出す。

途方に暮れていたら、熊本県民総合運動公園の関係の方が、寄贈していただけるなら、ぜひ引き取りたいと。

まさしく渡りに船です。さっそく手はずを整えて、まずは現物を見に来てもらいました。

県の教育庁の方など、総勢4名が来院。卓球台を詳しく検証した挙げ句に、予想もしない質問がありました。

「先生は、市会議員を、なさっていませんか?」

政治家の場合は、「寄贈 誰それ」と卓球台に書くことができないのだと。なるほど。

市議でも県議でもないし、立候補する野望も無いことを告げると、県庁の方々は納得して帰っていきました。

しかし数時間後、「あの卓球台は、検定品ではないので、県の備品にはできません」と、お断りの電話あり。

公式競技には使わず、練習専用でもダメ。タダでもダメ。その融通の利かないところが、さすがお役所です。

ヘリウムガス吸引事故

テレビ番組の収録中に、12歳の少女がヘリウムガス吸引で意識を失った事故が、今年1月に起きました。

その経緯について、日本小児科学会がこのほど、学会誌の最新号で詳細を公表しました。

少女は、ガス吸引直後より右手を震わせ始め、後方へ転倒して後頭部を強打、全身痙攣を起こしたとのこと。

意識障害と低酸素が続き、入院6日目に再び痙攣。画像診断から空気塞栓症と判断し、高圧酸素療法を開始。

その後は徐々に回復し、3月には登校できるまでになったそうですが、いろいろ問題のある出来事です。

ずさんな収録現場の問題や、事故をすぐに公表しなかったテレビ朝日の体質については、今日は触れません。

それよりもなぜ、市販のヘリウム缶の吸入でそのような大事に至ったのか、今日はそれを考えてみます。

使われたボンベは、ヘリウム80%、酸素20%含有の日本製。5,000ccの「大人用」サイズだったそうです。

この、ありきたりのパーティーグッズで問題が起きた原因は、次の2つと思われます。

(1)体格に見合わない、大量のヘリウムガスを吸入した

(2)鼻をつまんで、真面目にしっかり吸入した

ヘリウムガスに限らず、肺活量を超える量の気体をボンベで圧入されると、肺(肺胞)は破れるのです。

これを「圧損傷(Barotrauma;バロトラウマ)」といいます。

肺はガス交換の場です。肺胞の周りには、肺動脈と肺静脈の毛細血管が、網目のように絡みついています。

肺胞が破れれば、周囲の血管も断裂します。そこにガスの圧力が加われば、血管内にガスが入り込みます。

とくに問題は肺静脈です。肺静脈内にガスが入ると、左心房、左心室を経て、大動脈に拍出されるからです。

それが頸動脈に流れ、脳内の血管を塞いでしまうと、脳塞栓を起こします。これが、今回の事故の概要です。

教訓

(1)子どもでは、体格を考慮して、ヘリウム缶のサイズ(容量)を選択すること

(2)より面白い声を出そうと思っても、あまり真面目に、一生懸命吸わないこと

ていうか、ヘリウム吸って面白い声を出す遊び、もうやめませんか。

病名と地名・人名

「新たな感染症の名称を定める際には、その中に、地域、国名、人名、動物の名称を含むべきではない」

WHOが先日発表した指針です。その例として「日本脳炎」などが挙げられています。

もちろん、すでに使われている病名を改称していく、という話ではありません。次からは、ということです。

しかし今後、名称変更を求める動きが起きれば、既存の病名が変わる可能性は、あるかもしれません。

動物愛護の精神からも、「狂犬病」などは、真っ先にやり玉に挙げられそうです。

「豚インフルエンザ」や「鳥インフルエンザ」も、動物虐殺につながるので、本来はNGだとされています。

地名で言うなら、「エボラ出血熱」や「ラッサ熱」などのウイルス性出血熱は、軒並みアウトですね。

胃腸炎を起こす「ノロウイルス」は、「ノーウォークウイルス(Norwalk virus)」の省略形です。

米ノーウォーク州で集団発生した胃腸炎患者から検出されたので、その名が付きました。

「ノロ」に略したので、ノーウォーク州民には好都合ですが、日本の「野呂」さんが黙ってはいません。

いや、冗談ではないのです。国際微生物学連合では「ノロウイルス」を使わないように求めています。

となるとこんどは、ノーウォーク州民が反発しそうです。

ノロと似たような胃腸炎を起こすものに「サポウイルス」があります。「サポ」の由来は「サッポロ」です。

札幌市で集団発生した胃腸炎患者から、検出されたウイルスだからです。生牡蠣などから感染します。

こちらはどう考えても、「サポウイルス」のままがよさそう。「サッポロウイルス」ではイヤでしょう。

「ウイルス」のかわりに「ビールス」と言ったものなら、「サッポロビールス」になってしまいます。

差別用語を考える

昨日も書いた、ジョン・ナッシュ氏のこと。彼が「統合失調症」だったことは、よく知られています。

映画「ビューティフル・マインド」では、その彼だけが知覚する世界を、面白く表現していたと思います。

字幕で「精神分裂病」という言葉がたびたび登場しました。今は使われなくなった病名です。

「分裂」という言葉が、差別的、人格否定的だ、ということです。まあそれは、ある程度、理解できます。

しかし、単なる状態を表す一般名詞が、いつのまにか差別用語となり、使われなくなるケースも多いです。

そのおかげで、医学的本質は全く同じものを、あえて別の言葉に置き換えて表現することになります。

例えば「跛行(はこう)」。おもに片足が不自由な状態のことですが、かつて「びっこを引く」と言ってました。

差別的との理由で、いま「びっこ」は使われませんが、「びっこ」を漢字で書けば「跛」です。同じ字です。

跛行の原因はさまざまです。

(1)股関節や下肢に、変形や可動域の制限や疼痛などがある疾患:関節の病気、下肢の骨折、痛風など

(2)脊椎・脊髄または脳に異常がある疾患:脳血管障害やポリオの後遺症、腰部脊柱管狭窄症など

(3)下肢の血流に障害があって、とくに運動時に阻血となる疾患:閉塞性動脈硬化症

皆さん、お困りの方ばかり。経過の長い方は、跛行にもある程度慣れてますが、それでもひどく不自由です。

そのような病状の方を蔑視する心無い人がいたとしたら、それはその人の問題。言葉の問題ではありません。

しかし何らかの経緯があって、「跛(びっこ)」という言葉は問題視され、「跛行」に置き換わりました。

大和言葉(訓読み)を漢語(音読み)にして、いかにも中立性のある学術的な堅い表現にしたわけです。

その「跛行」ですら、「跛」の字が差別的だと言われ始めていますが、何が悪いのでしょう。文字ですか。

大事なのは、どのような気持ちで、その言葉を発しているのか、それを使う人の心です。

差別用語だと言って、次々に言葉を排除することで、かえって差別意識を作り出しているような気がします。

ジョン・ナッシュ氏死去

「ゲーム理論」。と言っても、モンストとかパズドラとかの、攻略法の話ではありません。

経済分析に使われる理論で、これを突き詰めたジョン・ナッシュは、94年にノーベル賞を受賞しました。

そのナッシュ氏が昨日(日本時間)、死亡したとのこと。タクシー乗車中の事故というのが、残念です。

統合失調症と闘いながら、ついにノーベル賞を受賞したナッシュ氏の半生は、映画にも描かれました。

2001年のアカデミー作品賞などを受賞した「ビューティフル・マインド」は、私の大好きな映画です。

主演のラッセル・クロウも良かったけど、奥さん役のジェニファー・コネリーもまた、良かった。

人生ドラマの中に、私の好きな要素「スパイ」「暗号」「数学」が盛り込まれているところもポイント。

では「ゲーム理論」とはなんぞや。この機会に、ちょこっと勉強したので、私なりの解釈を書いてみます。

個人間でも企業間でも国家間でも、二者間でも三者間でもそれ以上でも、駆け引きというものがあります。

それぞれが自分の利益を考慮しつつも、相手の出方を想定し、裏をかかれないように、熟慮します。

メンバーがすべて、同様に合理的戦略を練ると、一定の均衡「ナッシュ均衡」に落ち着くというわけです。

一人勝ちすることよりも、一人負けしないことを重視する意思決定法、というのが私の理解です。違うかな。

違うかもしれないので、人に言わないでください。

そんなわけで今夜、ナッシュ氏追悼の意味で、急遽、「ビューティフル・マインド」を鑑賞しました。

精神的に病的な個性を持つ天才が、さまざまな苦悩の末、ついに大事を成し遂げて社会から賞賛される。

その天才を支え続けた奥さん。その2人が同時に事故で亡くなったというのが、なんともいたたまれません。

爽やかな五月晴れ

雨天かと思われていた今日は、すっかり晴れ渡り、絶好の運動会日和でした。もちろん私は、診療でしたが。

ギックリ腰もほぼ完治し、先週には胃と大腸の内視鏡検査も無事クリア。

こうなると、爽やかな五月晴れの休日には、そろそろ阿蘇方面へのサイクリングも計画したいところです。

と書くと、こら、お前の日本語はどうなっとるのかと、激おこする方、いますか。

「爽やかな五月晴れ」という言葉が、間違っているような、許容されているような、微妙な表現だからです。

「五月晴れ」

(1)五月のよく晴れた天気

(2)梅雨の晴れ間

本来の意味は(2)。つまり、旧暦五月の梅雨=五月雨(さみだれ)の、合間の晴れ間のことだというわけ。

しかし、梅雨入り前の5月の晴天は、気温もほどほどで心地よいので、(1)の意味でもしっくりきます。

元は誤用だとしても、今となっては使いやすい言葉です。なにしろ、5月の晴天は爽やかです。

「爽やか」

新明解国語辞典(私の好きな第四版)によると、

(1)きれいで程良く冷たい大気が、一種の緊張感と清新の気を与えてくれる様子

(2)精神的にもふっきれ、生理的にも滞る所が何も無い様子

俳句の世界ではしかし、「さわやか」は秋の季語だそうです。だから春に使うと違和感がある人もいるとか。

でも多くの方には、どの季節に使おうが、違和感のない言葉だと思います。

俳句をたしなむ風流人が、当ブログを読む可能性も低いでしょうから、私は春にも使わせていただきます。

つぶらな瞳

神経学的異常を疑うときや、意識レベルを診るときに、瞳孔の大きさ、形、左右差や対光反射を観察します。

ただし私の外来の一般診療で、瞳孔の診察、とくに対光反射をチェックすることは、ごくまれです。

対光反射を診る際には、ペンライトが必要ですが、まぶしいので、ある程度弱い光でなければなりません。

ひごろ咽頭部などを診察するときに使っているペンライトでは、光が強いので、目には使いにくいです。

目に光を当てると、瞳孔が小さく縮まります。これが「縮瞳」という状態で、この反応が「対光反射」です。

片方の目にだけ光を当てても、両方の瞳孔が縮瞳します。光を外すと、また元のサイズに戻ります。

瞳孔に実体はありません。「虹彩」の中央にあいた、ただの穴にすぎません。ドーナツの穴と同じです。

その虹彩というのは、カメラに例えれば「絞り」です。網膜に届く光の量を調整しています。

大きさは変化しますが、人間の正常な瞳孔の形はいつも円形です。犬も円形ですが、ネコは縦長です。

「つぶらな瞳」という言葉の意味が、時々話題になります。「大きな目」ではなく「丸い目」の意味ですね。

漢字で「円らな」と書きます。ウルトラシリーズの円谷プロを思い出せば、合点がいきます。

ところが前述したように、人間の瞳孔は円形に決まっています。ならば人類みな、円らな瞳じゃないの?

そうではなさそう。「つぶらな瞳」の瞳は、瞳孔の意味から転じて、目の意味で使われているからです。

ユーミンの歌にもある「瞳を閉じて」という言葉は、おかしいじゃないか、という人がいます。

閉じるのは瞼(まぶた)であって、瞳ではない、というのですが、これも目と考えたら問題ないわけです。

アクセントの平板化

「くまモン」の正式なアクセントは、頭にアクセントがある「頭高型」であると、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-418.html" target="_blank" title="以前">以前</a>書きました。

しかし実際には、日頃の診療で接する子どもたちのほとんどが、いわゆる「平板型」で発音しています。

念のため説明しますと、頭高型とは「仙台」と同じアクセント、平板型は「熊本」と同じです。

私も平板型です。なにより、「くまモン」と「くまもと」のアクセントが同じ方が、自然だと思うからです。

アクセントの平板化は、その言葉をよく使う人から始まり、若者中心に広まっていくといわれています。

本来は頭高型であった「モデル」や「ドラマ」が、今はたいてい平板型で発音されるようになりました。

頭高型のようなメリハリのついたアクセントよりも、平板型の方が発音しやすいのかもしれません。

このような変化は、外来語に限りません。「電話」はすっかり平板化したし、「電車」も平板化途上です。

となれば、くまモンだって、どっちみち平板化するのです。最初から平板型にするのが合理的というもの。

概して、頭高型のアクセントは昭和臭く、平板型は今風です。

くまモンを頭高型と決めたのは、熊本県(県庁)です。主犯は知事かもしれません。発想が古いのです。