Watchを待つ日々

発売間近なのに、Apple Watchの公式サイトから「4月24日発売」の記述がひっそり消えた、という話。

品薄で早期の入手がきわめて困難なため、「4月24日発売」では事実上の誤表示になるからなのでしょうか。

それじゃ、私が<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1284.html" target="_blank" title="発注した">発注した</a>Watchは、いったいいつ届くのか。

Apple Storeサイトの「ご注文一覧」を見て、「お届け予定日」を毎日何度も確認する日々です。

いまの時点ではまだ「5/11-5/22」となっています。何度見ても変わりません。

100回見たら納期が1日早くなる、というシステムになりませんかね。

注文履歴のページでは、「商品のキャンセル」というボタンがひときわ目立ち、幅を利かせています。

このページを見るたびに、そのボタンをうっかりクリックしないように、とても気を遣い、指が震えます。

6月頃までは、アップルストアでの店頭販売も行わないとのこと。販売はオンラインのみ。

店に在庫があるからこそ「ストア」じゃないのか、と思いますけどね。それこそ、本末店頭(転倒)です。

伊勢丹とソフトバンクがどうも、抜け駆けしそうですが、どうせ在庫はわずか。すぐ完売でしょう。

さて、予約時には人気があっても、発売後の評価・評判と、その後どのぐらい売れ続けるかが問題です。

iPodやiPhoneやiPadのように、大化けするかどうか、まだわかりませんね、今回ばかりは。

地球外生命体発見へ

NASAの科学者が、今後20年以内に地球外生命体を発見できる、と語ったそうです。

最近になって、木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドスで、「海」の存在が確認されたからです。

海があるのであれば、地球と同じように、長い年月の間にきっと生命体が生まれているはず、という理屈。

何億年もかけて生み出すわけですから、まさに「海の(生みの)苦しみ」とでも申せましょう。

たしかに、無生物から生命が誕生するというのは、神秘的ですが、でも本当にそんなことが起こりうるのか。

南極に落ちた隕石から、DNAの構成要素、アデニンとグアニンが見つかったという話は、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-123.html" target="_blank" title="以前">以前</a>書きました。

DNA自体が地球外からやって来たとすれば、これはもう、地球の生命誕生の根幹を揺るがす一大事です。

「たんぽぽ計画」という名の実験が、来月から国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」で始まります。

この研究で解明しようとしているのは次の2つ。

(1)生命(微生物)が地球から脱出して他の天体(火星や木星など)に到達できるかどうか

(2)生命の起原以前に有機物が宇宙から地球にやってきた可能性がどれくらいあるのか

たんぽぽ計画によって、地球の生命の起源がはたして海なのか宇宙なのか、その白黒が付くかもしれません。

地球上の生命を育んだ、母なる海が、生みの親ではなかったとすれば、ショッキングな話です。

おまけに、その宇宙から来た生命体が、どこでどのようにして誕生したのか、その疑問も残ります。

結局、宇宙でいちばん最初の生命体って、どうやって誕生したのでしょうね。

ビッグバンの前に、そこに何があったのか。その疑問にも似ています。

雪辱を晴らす?

「雪辱を果たす」と「雪辱を晴らす」

雪辱という言葉が「辱めを雪ぐ(すすぐ)」の意味なので、後者は誤用とされています。

晴らすが果たすに似ていることから、混同しやすいのでしょうか。晴らすのは屈辱です。

「名誉挽回」に対して「汚名挽回」も、似たような誤用の例です。

とは言え、汚名を返上すれば名誉を挽回することになるので、「汚名挽回」でもニュアンスは伝わります。

汚名挽回と言ったところで、日常会話には支障ありません。言葉にうるさい人間が、少々いらつくだけです。

「的を射る」と「的を得る」とでは、誤用とされる後者にも、ほとんど違和感を感じません。

射ることで的をモノにする、みたいな印象があるからでしょうか。文法的にも大間違いとは思えません。

明らかに間違った言葉は、原則として、それを聞いた人や読んだ人によって、その都度訂正されるべきです。

しかし誤用しても意味がおおむね正しく伝わる言葉は、だんだんとそのまま定着していくのかもしれません。

少なくとも、言葉の表現や解釈や使われ方が変わることは、「言葉のゆれ」として許容されます。

私はむしろ、言葉のゆれには肯定的、あるいは積極的です。敢えてグラグラゆらしたいぐらい。

時代をさかのぼれば、言葉の大半は外来語といわれます。多くは中国から入って来ています。

古代以来の日本人がそれを受け入れて、今日まで使い倒してきただけの話。

その過程で、ことばがゆれ、誤用され、別の外来語も入り、どんどん進化して現在に至るわけです。

そもそも日本人はみな、列島の外からから来た移住者の末裔です。国民全員が、外国出身です。

人類が、混血や突然変異で進化してきたのなら、言葉の進化は、外来語とゆれによって起きるのでしょう。

よくある誤用やおかしな若者言葉でも、淘汰されずに残るのであれば、それを進化と言うのかもしれません。

なすび記念日

4月17日は「なすび記念日」だと、今朝の「金曜言葉塾」で言ってました。

417だから「よいなす」という、こじつけ。これだけだと、あまりにも苦しいところ。

それに加えて旧暦の4月17日は、茄子が好物だった、徳川家康(1543ー1616)の命日だそうです。へえ。

家康と同じ1616年に亡くなった人物なら知っています。シェイクスピア(1564ー1616)です。

中学1年の時、英語の先生が教えてくれました。「人殺しいろいろ」と覚えるのだと。なるほど。

「なすび記念日」ですぐに連想するのは「サラダ記念日」ということになります。俵万智の歌集の名前です。

その代表作ともいえる短歌が、「『この味がいいね』と君が言ったから○月○日はサラダ記念日」

甘酸っぱくほほえましい、恋人どうしの様子を詠んだものです。さて、何月何日だったでしょうか。

「普通のなんでもない日こそ記念日」との思いから、7月6日にしたらしいですね。だから覚えにくい。

甘酸っぱい思い出を含んだ、青春の善き日々のことを「サラダデイズ」といいます。

生野菜の若々しさや青臭さが、青春の未熟さにも通じるからでしょう。

「サラダデイズ」の出典は、シェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」だそうです。

クレオパトラが、自分の判断力が青臭かったことを述懐するシーンで、 “My salad days” と言うらしい。

奇遇にも、またシェイクスピアです。どうやら彼の時代の英国は、サラダブームだったようです。

で、彼の生年ー没年は、1564ー1616。人殺しいろいろ。もう覚えましたね。

負けず嫌い

生来の負けず嫌い。争わなければ負けずに済むので、私はなるべく争わない方針で生きてきました。

しかし世の中、競走だらけ。負けず嫌いの人間が負けたとき、口から出るのは負け惜しみです。

長い目で見れば、目先の勝敗などとるに足りない。「負けるが勝ち」なのだと、自分にそう言い聞かせます。

さて、最初の勝負でAが勝者、Bが敗者とすると、負けるが勝ちの理屈ではAが敗者、Bが勝者と逆転します。

ところがもう一度、負けるが勝ちの理論を適用すると、こんどはAが勝者、Bが敗者となります。

これを繰り返せば、AとBの勝敗は、たびたび逆転することになります。

奇数回だけ繰り返せば、勝敗は逆転し、偶数回繰り返せば、勝敗は元通りです。いったいどっちなのか。

結局「負けるが勝ち」は、勝敗をはっきりさせないための、知恵なのかもしれません。

日本人の基本的性質「和を以て貴しと為す」を示したものだと思います。

できるだけ争わない態度こそ、日本人の美徳であり、私にもその血が流れているというわけです。

負けず嫌いの人間って、けっして圧勝もしたくはない、なんとなく引き分けに持ち込みたい人間なのです。

ブログ更新連続3年

立花隆氏が以前、クローズアップ現代で、「書くことがいちばん役に立つ」と言っていました。

まことにおこがましいことですが、私も最近、同じことを感じています。

私の場合、学術論文はまるで書いていないのに、しょうもない文章だと、わりと筆が進みます。

しかし、このようなブログを書くためにも、それなりの準備と、わずかばかりの努力はしているのです。

(1)調査:常にアンテナを張り、周囲を観察し、世の中の動きに気を配る。つまりネタ探し。

(2)勉強:面白そうなことには食いつき、研究する。でもつまらなければ、すぐに放り出す。

(3)考察:文章という形にしていく過程で、自分の考えをまとめていく。いちばん大事な作業です。

(4)推敲:全体のリズムを整え、誤字脱字などを辞書でチェックする。それでも間違う。

本と比べて、ブログが圧倒的に勝っている点があるとすれば、「閲覧性」だと思います。

(1)誰でも無料で、読みたいときに読むことができる(パソコンかスマホが必要だけど)

(2)最新の投稿も、古い文章も、分け隔てなく読むことができ、自由に検索ができる

(3)リンクを張ることで、文章どうしを関連づけ、別の投稿へと誘導できる

毎日書き続けている当ブログは、今日で連続更新3年、1095日連続の投稿となりました。

特に目標もなく、ただ毎日、何かを書いているだけです。しかしこうなりゃ、続けられるだけ続けます。

この積み重ねがはたして「雨だれ石を穿つ」か、「塵も積もれば(ゴミの)山となる」だけか。

千進法と万進法

インドネシアの2014年の名目GPDは、10,095,000,000,000,000ルピアだったそうです。

これだけの桁数の数字を見て、瞬時に、1京95兆ルピアだとわかるのは、銀行員の方ぐらいのものでしょう。

3桁ずつに区切られた表記を、4桁ずつ区切って読む日本語って、ムダにややこしいですよね。

明治時代に入ってきた「千進法」と、それ以前からある「万進法」の共存に、そもそも無理があるのです。

インドネシアでは、1ドル=13,000ルピアまでルピア安になり、数年前から「デノミ」も議論されています。

1,000ルピアを新しい1ルピアにして、財務管理を簡素化して経済効率を改善させようという考えです。

それを上回るのがベトナム。1ドル=2万ドン以上のドン安が、ドンドン進んでいます。

ただしこちらは、輸出を増やして経済成長を促すための、通貨安政策のようです。

ところで、英単語の「denomination」について私は、これまでずっと、勘違いをしてきた経緯があります。

denomination=de-nomination、通貨の命名を替える意味なのかな、ぐらいに思っていました。

英語に厳しい知人から、denominationとは「通貨単位(名)」のことだと指摘され、思い違いに気づいた次第。

デノミの意味では「change of denomination」ですが、日本人がdenomiの部分だけ使っているわけです。

「chaneg of」を省いたのでは意味が逆になるのに、そのことには無頓着なのが、和製英語の面白いところ。

日本語って、言葉の論理よりも語感(語呂)を優先して、大事な部分を省くことがありますね。

たとえば、前にも書いた「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-969.html" target="_blank" title="認知症">認知症</a>」もそれに近い。認知障害=認知症、というのは、オカシな命名法です。

選挙中にも聞かれた言葉「世代交代 change of generation」を、「ジェネ」と言い始める日も近いでしょう。

山手線の電柱事故

JR山手線で起きた、電柱倒壊事故は、次のように捉えられています。

(1)交通を混乱させ、市民生活や企業活動に大きな影響を与えた

(2)一歩間違えると、脱線事故につながったかもしれない

(3)2日前から気付いていた電柱の傾きを、JRは甘く見た

(4)翌日改修工事をする予定だった、というJRの説明が言い訳に聞こえる

(5)老朽化対策の作業によって電柱の強度が落ちていた可能性もあり、人災の側面もある

(6)ほかの電柱は大丈夫なのか

京浜東北線の運転士が、その電柱の倒壊にすぐ気付いたおかげで、(2)の大惨事を防ぐことができました。

発見の1分前には、その場所を電車が通過し、発見の3分後には、次の電車が通過する予定だったとのこと。

その4分の間に、電柱が倒れ、しかしただちに発見され、通報され、電車が止まり、事なきを得たわけです。

良かったじゃないですか。

運転士の観察力とJRの危機管理態勢が、大事故を未然に防ぐことができたのです。私はそれを評価したい。

電柱倒壊で思い出すのは、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-421.html" target="_blank" title="以前も書いた">以前も書いた</a>ことのある、香川で起きた送電鉄塔倒壊事件です。

故意にボルトを外して倒壊させたものでしたが、犯人はわからずじまいで、とっくに時効となりました。

四国電力への恨みが動機とも言われましたが、その倒壊規模の大きさからは、ヘタしたら殺人罪。

山手線の電柱倒壊は故意ではなかったにしても、こんどは模倣犯が出てこないか、心配です。

出がけに投票

統一地方選挙の投票日。昨年の衆院選の時の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1167.html" target="_blank" title="早朝投票">早朝投票</a>で味をしめたので、今日も出がけに投票です。

7時前に行っても待たされることは経験済み。なので今朝は、7時ちょうどに自宅を出ました。

なにしろ投票所は、わが家から車で15秒なのです。

私は4番目でした。残念ながら、投票箱の中身チェックは終わっていたようです。

入場券のハガキを渡して受付し、投票用紙を受け取り、記名して、投票箱に入れ、立会人に会釈して退室。

自宅を出ておよそ1分後には、投票を済ませていたことになります。

選挙権の行使はとても大事なことですが、学生時代に投票したことは、ほとんどありませんでした。

例外は、83年の福岡県知事選。現職の亀井光氏の5選を阻止して、奥田八二氏が初当選したときでした。

選挙ポスターの「奥田はちじ」が、「奥田は知事」とも読める。知事になる星のもとに生まれたのでしょう。

奥田氏は、私が学生時代に学んだ一般教養選択科目のひとつ、社会思想史の教授でした。

単位が取れるかどうかは、試験直後に、授業のノートを提出できるかどうかにかかっていました。

わずかに猶予は数時間。コピーは不可。手書きノートを提出できれば合格です。

コピーしか持っていない多くの者が、単位取得を諦めました。

しかし私は、下宿の友人と手分けしてコピーを書き写し、ノートを作成。無事単位を取ることができました。

そういうわけで、のちに知事選に出馬した奥田先生に、お礼の一票を投じたのでした。

発売日の行列廃止へ

予約受付が始まったばかりのApple Watchは、すでに品薄だと報じられています。

Appleのサイトで先ほど確認したところ、私が発注したモデルはすでに、発送予定が6月と出ています。

こういうのを見ると、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1284.html" target="_blank" title="昨日">昨日</a>速攻でオンライン予約してよかったと、つくづく思いますね。

Appleの新製品はいつも、発売当初は<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-863.html" target="_blank" title="品薄">品薄</a>です。

購買意欲を煽る販売戦略だとして、「品薄商法」とか「飢餓商法」と揶揄する向きもあります。

しかしその側面はあるにしても、2カ月待ちになるほどの品薄にするメリットはないでしょう。

部品の完成度へのAppleの要求が異常に高くて、製造の歩留まりが悪いのが、本当の原因かもしれません。

Apple Storeやソフトバンクの店舗前の行列が報じられましたが、それらはほとんどが、試着のための列。

予約は原則として、オンラインに一本化されています。店舗で予約しても、オンラインと同じ扱いです。

4月24日の発売後以降もしばらくは、予約無しで店舗で購入することはできないようです。

Apple WatchについてAppleは、オンライン販売を推奨する方針のようです。

小売り部門を統括しているのは、昨年バーバリーのCEOからAppleに移ったアンジェラ・アーレンツ氏。

「顧客が製品のために数日間にわたって行列に並ぶことを終わりにしたい」というのが彼女の方針だとか。

Apple Watchに限らずiPhoneも含めて、発売日恒例の行列とお祭り騒ぎは、今後見られなくなりそうです。