「雪辱を果たす」と「雪辱を晴らす」
雪辱という言葉が「辱めを雪ぐ(すすぐ)」の意味なので、後者は誤用とされています。
晴らすが果たすに似ていることから、混同しやすいのでしょうか。晴らすのは屈辱です。
「名誉挽回」に対して「汚名挽回」も、似たような誤用の例です。
とは言え、汚名を返上すれば名誉を挽回することになるので、「汚名挽回」でもニュアンスは伝わります。
汚名挽回と言ったところで、日常会話には支障ありません。言葉にうるさい人間が、少々いらつくだけです。
「的を射る」と「的を得る」とでは、誤用とされる後者にも、ほとんど違和感を感じません。
射ることで的をモノにする、みたいな印象があるからでしょうか。文法的にも大間違いとは思えません。
明らかに間違った言葉は、原則として、それを聞いた人や読んだ人によって、その都度訂正されるべきです。
しかし誤用しても意味がおおむね正しく伝わる言葉は、だんだんとそのまま定着していくのかもしれません。
少なくとも、言葉の表現や解釈や使われ方が変わることは、「言葉のゆれ」として許容されます。
私はむしろ、言葉のゆれには肯定的、あるいは積極的です。敢えてグラグラゆらしたいぐらい。
時代をさかのぼれば、言葉の大半は外来語といわれます。多くは中国から入って来ています。
古代以来の日本人がそれを受け入れて、今日まで使い倒してきただけの話。
その過程で、ことばがゆれ、誤用され、別の外来語も入り、どんどん進化して現在に至るわけです。
そもそも日本人はみな、列島の外からから来た移住者の末裔です。国民全員が、外国出身です。
人類が、混血や突然変異で進化してきたのなら、言葉の進化は、外来語とゆれによって起きるのでしょう。
よくある誤用やおかしな若者言葉でも、淘汰されずに残るのであれば、それを進化と言うのかもしれません。