桜と鰻と腕時計

桜の花は今が見頃。今朝からの雨も上がり、今日から2,3日が花見のラストチャンスかもしれません。

勤務医の頃は、毎年のように花見に行っていましたが、開業してからは、ずっと遠ざかっています。

自宅の前の中学校の敷地には、立派な桜の木が何本もありましたが、昨年全部、切り倒されてしまいました。

給食室を拡張するためらしいですが、なんとも残念でなりません。

さいわい、職場周辺や通勤路(豊後街道)にも、桜の並木があります。

今日は帰宅中に車窓から桜をしっかりと目に焼き付けた後、その記憶を頼りに、自宅で花見酒としました。

鰻屋の前を通りかかった後に、その匂いの記憶を頼りに自宅でご飯を食べるのと、同様の手法です。

花見といえば、苦い思い出があります。醜態をさらしたわけではありません(記憶している範囲では)。

10年ほど前の花見で、腕時計をなくしたのです。どこででも時計をはずす癖があったのが、災いしました。

じつは、その前の時計も、そのまた前の時計も、やはり紛失してきた歴史があります。

なくすたびに、次はなくさないようにと、より高額の時計を買うのですが、その効果はありませんでした。

どんどん値段が高くなり、紛失したときのダメージも、ますます大きくなります。

なので、いま持っている時計は、過去最高額のものですが、めったに使わないことに決めています。

来月買う予定のApple Watchは、たぶんiPhoneと同様に、所在地を探す機能がありそう。たすかります。