衆議院が解散し、「事実上の選挙戦が始まった」と、いつものように報じられています。
引退を示唆していた石原慎太郎氏が、党員から説得されて、次期衆院選への立候補を決めたようです。
大丈夫でしょうか石原氏。TVで見るとかなり、ご高齢感がありますが。
この石原氏の所属政党の変遷は、まあ面白いというか、ずいぶん引っかき回してくれてますね。
まず石原新党をたちあげるべく都知事を辞め、「たちあがれ日本」を改名するかたちで「太陽の党」を結成。
そのわずか4日後には「日本維新の会」に合流したものの、結局また分党して「次世代の党」を結成しました。
旧世代の老獪なクセ者たちを顧問や党首とする政党が、次世代の党とはおふざけが過ぎませんか。
この党に限らず、総選挙を前に今回も「野合」と揶揄される野党再編が起きたりするのでしょうか。
結集したところで所詮、目指すものが異なる政治家たちに関してよく「同床異夢」という言葉が使われます。
同床異夢の原典をたどれば、宋の陳亮の『与朱元晦書』だと、いろんなサイトに書いてあります。
原文を調べてみると「同床各做梦,周公且不能学得,何必一一说到孔明哉」とありました。
「床を同じにして別々の夢を見るなら、周公旦でも理解できないし、孔明の話を出すまでもない」との意味。
原義は夫婦の話のようですが、ここで周公旦と諸葛孔明が登場するとは、思いもよりませんでした。
周公旦は、殷を打倒し周を建国した立役者で、私の一番好きな古典「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-579.html" target="_blank" title="封神演義">封神演義</a>」に登場する主要人物です。
諸葛孔明についてはもちろん、説明するまでもありません(それこそ、何必说到孔明哉です)。
誰にもわからないことを引き合いに出すために用いる、中国の2大賢人がこの2人、ということでしょうか。
このあたりは、もう少し時間をかけて研究してみる必要がありそうです。
同床異夢の対義語「異榻同夢(いとうどうむ)」の「榻」と「床」との違いも面白いのですが、またいつか。