過重労働の解消

当院の近所にある牛丼店「すき家」は、いまでも年中無休24時間営業ですが、これはまれなケース。

他の多くのすき家の店舗ではすでに、今月から深夜営業が休止されています。

劣悪な労働環境が問題となり、深夜の1人勤務体制を解消しようとしたら、人手が足りなくなったからです。

過重労働を前提とした、ゼンショーの低コスト運営が、当然のようにほころびたわけです。

小児科や産婦人科などの勤務医の、過重労働を前提とした低コスト運営も、多くの病院で行われています。

勤務医らの労働条件を改善しようとしたら、人手が足りずにまともな診療ができなくなるでしょう。

テレビ番組が時々、小児科医や救急医などをとりあげ、過酷な勤務をこなす医師の姿を紹介してくれます。

そのような特集番組はいつも、使命感に燃える勤務医の活躍ぶりを、格好良くポジティブに描きます。

たとえ勤務医がホントはヘトヘトでも、なにしろ患者と比べれば相対的に元気ハツラツなのです。

労働条件が悪いので医師を休ませよう、これでは医療水準が低下するぞ、という風には決して描かれません。

これが、牛丼店員の1人夜勤に密着して、そのハードな勤務を描いたら、どんな番組になるでしょう。

接客、衛生面、防犯上の観点からも、店員1人じゃムリだろう、という問題提起になること間違いなしです。

20年ほどの勤務医経験後に開業した私には、病院勤務医をムダに忙しくさせないようにする使命があります。

今日からの3連休。病院の救急外来受診者を少しでも減らすことに、当院が貢献できればよいのですが。

ひまわり8号

気象衛星「ひまわり8号」が3日前に、H-2Aロケットで打ち上げられました。

残念なことにこの朗報は、ノーベル物理学賞を日本人が受賞したニュースに埋もれてしまいました。

受賞者発表の日付が変えられないなら、打ち上げ日をずらすことはできなかったのでしょうかね。

それとも物理学賞は期待していなかったのか。9日の文学賞発表の前までには打ち上げとけ、みたいな。

あるいは宇宙論での日本人の物理学賞受賞を期待して、祝砲の如くこの日を選んで打ち上げたのか。

まあ結果的には、台風18号と19号の合間にうまく打ち上げられて、ちょうどよかったです。

その台風を含め、ひまわり8号の観測能力は、現在のひまわり7号と比べると、次のように向上するそうです。

(1)衛星画像の解像度が、1キロメートル四方から500メートル四方になる。

(2)白黒画像がカラー表示になり、たとえば雲と黄砂と火山ガスを区別できるようになる。

(3)30分に1回の観測頻度が、10分に1回になる。日本付近の台風観測では2分半に1回になる。

観測機能やデータ処理能力は、科学技術の進歩によって、今後いくらでも向上していくことでしょう。

大気だけでなく地底まで観測できるようになれば、懸案の、火山噴火の予知も可能になるかもしれません。

話は変わりますが、「医療法人ひまわり会つるはらクリニック」は、今月から開院8年目です。

ある意味「ひまわり8号」です。どうぞよろしく。

ノーベル物理学賞

ノーベル物理学賞は、赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が、同時受賞しました。

受賞理由は「青色発光ダイオード(LED)の発明」です。

LED照明やブルーレイディスクの実用化に結びついたこの発明は、身近で実感しやすいノーベル賞です。

受賞者の3人がまた、三者三様で面白い。各人の発言のうち、私が気に入ったフレーズをあげてみます。

(1)赤崎勇「自分がやりたいことであれば、なかなか結果が出なくても続けることができる」

目先の成果を求めるあまり、不本意な研究や仕事を手がけることが多いものですが、それじゃダメですね。

「一人で荒野を行く心境だった」と表現するほど、途方もなく先の見えない研究を、よく続けたものです。

85歳にして「まだすることがたくさんある」という赤崎氏。研究者魂を見せつけてくれます。

(2)天野浩「必ずできるとの信念があれば、あとは諦めないことだ」

諦めなければ成功すると、簡単に言いますが並大抵のことではありません。信念の強さがハンパないのです。

「世界で一番になれる可能性がある」という思いで研究したそうですが、天性の勘もあったのでしょう。

「私はまだまだ発展途上の人間です」と謙虚ですが、若いことのアピールかも。今後どれだけ発展するのか。

(3)中村修二「もうキレてしまって,前からやりたかった青色LEDをやると決意したのです」

発明の対価をめぐって企業を提訴したり、「怒り」を励みに研究に取り組んできたという、異色の人物です。

人真似をしたくないので「今度は文献を読まないと決めました」というのはある意味、背水の陣です。

で「窒化ガリウムを選んだのはやけくそでした」となるわけで、まあ、ぶち切れ人生みたいです。

それにしても、中村氏が米国市民(米国籍)としてノーベル賞を受賞したことは、痛恨の極み。

皆既月食と月の色

診療を終えて東の空を見ると、まさに皆既月食のさなかでした。

月は消え失せているわけではなく、妖怪の仕業かと思うような、妖しげな暗い光を放っていました。

もしも妖怪ウォッチを持っていたなら、そこにドンヨリーヌの姿を見出したかもしれません。

皆既月食のとき、屈折して地球を回り込んで届いた波長の長い太陽光に照らされて、月は赤っぽく見えます。

これを昔の人は「赤銅色(しゃくどういろ)」と表現したそうです。

赤銅鈴之助なら「あかどう」と読みますが、金属や色の呼び名としては「しゃくどう」らしいです。

色見本で赤銅色は「R:117 G:33 B:0」となっていますが、今日の月の色と比べると少し違う感じがします。

「赤」を「しゃく」と読む言葉は珍しいですが、よく見かけるのは「赤口(しゃっこう)」でしょうか。

大安とか仏滅とかの「六曜」のひとつですね。正午ごろのみが吉で、あとは全部凶という、難しい日です。

一説には、かの諸葛亮孔明が、この六曜を考案したとかしないとか。

6つの曜が順番に延々と繰り返されているかと思いきや、ときどき順番がとぶのが、昔からの疑問でした。

調べてみるとどうやら、旧暦の毎月1日に、一定の規則で順序がリセットされるシステムのようです。

こういうのって、学校では教えてくれませんね。

約1時間の皆既食が終わり、左側から徐々に、月がどんどん明るく、ついにはまぶしくなってきました。

その満月を愛でつつ、今日は頂き物の月餅を食べたのでした。

中島みゆき

休診日なので、NHKの「マッサン」を朝から見ました。台風で昨日の放送が中止され、今日は2話連続放送。

サントリーの創業者(を想定した人物)も登場し、いよいよ盛り上がってきましたね。

まあそれにしても、朝っぱらから中島みゆきが唄う主題歌「麦の唄」には、まだ、慣れません。

あの、トルコアイスのように粘っこい歌声が、はたしてスコッチウイスキーに合うのか。

かつて、中島みゆきのライバルと言えば、松任谷由実でした。人によって好き嫌いが分かれる2人です。

音楽の好みを尋ねるとき「ユーミンと中島みゆきのどっちが好き?」というのが、80年代定番の質問でした。

学生時代に、友人のN君にその質問をしたら、八神純子という第3の答えが返ってきたことも思い出します。

日経ビジネスが、中島みゆきの昔の曲「糸」がなぜ、いまヒットしているのかを分析していました。

その詳細はともかく、同記事ではこれを「神曲化」と表現していました。

「神曲」という文字面を見ると、条件反射的に「ダンテの神曲」を思い出します。

しかしここでは、「しんきょく」ではなく「かみきょく」です。

なんでもかんでも、すばらしいモノを表現するとき、頭に「神」を付け始めたのは、いつ頃からでしょうね。

「神アプリ」とか「神サイト」とか。「神ブログ」なんてのもある。拙ブログとは無縁の呼称ですが。

音楽CDと日本人

日本人の特殊性を面白おかしく分析した外国人の文章に、あらためて気づかされることがあります。

たとえば日本が音楽配信で遅れていることを紹介した、New York Timesの最近の記事も、目から鱗でした。

面白かった部分を紹介しつつ、寸評してみます。

「日本では、全音楽の85%が、CDと呼ばれる平らな円形のプラスチックで購入されている」

いかにも原始的だと言わんばかりの言い回しですが、たしかにこの割合なら驚きです。

「日本の音楽配信は、2009年の10億ドルから2013年には4億ドルに減少している」

後退してるじゃないですか、しかも大幅に。日本人って、そんなにCD買ってるんでしょうか。

「日本人は収集(コレクション)を好む文化がある」

あ、わかる。物欲ってやつですね。私もそう。iTunesで曲を買っても、なんか所有欲が満たされないのです。

「日本の音楽業界はライセンスが得にくい」

こういった閉鎖的なところ、ありますよね。既得権益を守りたがる日本人の気質が、随所で災いします。

「伝説的な音楽ストアチェーンであるタワーレコードが、日本ではまだ存在している」

もう、前世紀の遺物みたいな言われ様です。本国アメリカのタワーレコードは、何年も前に破産しています。

やがて日本でも、携帯端末を使ってダウンロードやストリーミングで音楽を聴くのが主流になるのでしょう。

一方で音楽ファンや音響マニアは、専用システムでハイレゾ音源を聴くという、二極化が進みそうです。

いずれにしても今の規格のCDは、そろそろ引退の時期かもしれませんね。

ジョブズなら

新型のiPhone 6/6 Plusについて、ジョブズならこんなデザインにはしなかった、という意見があります。

いまだに「ジョブズなら」と言うのもどうかと思いますが、たしかに次の2点は、その通りだと思います。

(1)iPhone 6 Plusがやたら大きい

2週間使ってもまだ慣れません。でも私には不都合ではなく、むしろ便利。字が大きくて読みやすいのです。

薄くて角が丸いので、ジャケットの内ポケットに入れやすく、かさばらない。財布にさえすっぽり入ります。

(2)背面カメラが本体から突出している

本体があまりにも薄いので、カメラ部分だけとび出しているのが、ひどく目立ちます。実に残念な仕上がり。

デザインよりも撮影性能を重視した結果でしょう。私としては、カメラをヤスリで削り落としたい気分です。

機能や性能を多少犠牲にしてでも、完璧なデザインを求めていたのが、奇才ジョブズでした。

一方でクックCEOは、デザインも性能もどちらも大事、というバランス感覚を持っている常識人です。

巨大企業Appleが今後もシェアを維持し拡大していくためには、丸くなることも必要なのでしょうか。

でも私は、Appleにはデザイン至上主義を貫いて、いつまでも尖った存在であって欲しいと願っています。

iPhone 6 Plusはまだしも、来年発売予定のApple Watchに私自身が納得できるのか、それが心配です。

囚人のジレンマ

「囚人のジレンマ」。こんな言葉を目にすると、二番煎じと思いながらも書きたくなるのが私のジレンマ。

今朝の日経が、<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1083.html" target="_blank" title="iPhone 6">iPhone 6</a>発売を巡るキャリア3社の消耗戦を、囚人のジレンマと表現していました。

この言葉を初めて聞かれた方のために、最小限の説明をしますと、こうです。

犯行を黙秘してきた囚人A, Bが、相手を裏切って先に自白した方の罪だけを軽くするともちかけられます。

ただし、2人とも裏切った場合は、2人とも黙秘を通した場合よりも罪が重くなるという設定。

自分の損得を考えた結果、2人とも裏切りを選択し、ともに罪が重くなってしまいます。

iPhoneのように、3社が同じ製品を同じ日に発売する場合、その料金設定が契約獲得数に大きく影響します。

しかも、製品発表から予約受付開始までのごくわずかな期間で、すべての方針を決定しなければなりません。

競合他社の動向を見据え、少しでも自社の料金プランなどが優位になるように、他社を出し抜きたい。

こういうとき、いちばん機動力があるのが、ワンマン経営者率いるソフトバンク。得意技は「後出し」です。

ドコモが最初に打ちだした、4万3200円の旧機種買取サービスには驚きましたが、すぐに他社が追随。

でもね、乗換え客の獲得にばかり血道を上げて、固定客には冷たい。釣った魚にはエサはやらないのです。

乗換えを繰り返せば荒稼ぎできるような今のシステムって、どうにかなりませんかね。

今回ばかりは私も、4万円欲しさにドコモに乗り換えようかと思ったぐらいですが、でも、やめました。

乗換えの際に、旧機種を手放す必要があったからです。Apple信者に、それはできません。

御嶽山の犠牲者

<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-1089.html" target="_blank" title="御嶽山の噴火">御嶽山の噴火</a>災害は、ほんとうに痛ましい限りです。犠牲者の多くが、噴石による「損傷死」だとのこと。

噴石の数と威力が激しかったことの表れですが、石に当たらなければ助かっていた可能性もあります。

海で救命胴衣が役立つように、登山には、軽くて固い緊急用全身プロテクタなんて、ないのでしょうか。

ところで、今回の噴火報道でも気になったのは、「心肺停止」という言葉の使われ方です。

「山頂付近にはまだ心肺停止の方が何人いる」などという表現。なんかオカシイ。いつも違和感を感じます。

心肺停止とは、心拍動と呼吸が停止した状態。すぐに適切な心肺蘇生を行わなければ、数分で死に至ります。

あの噴火の状況で、心肺蘇生はきわめて困難、あるいは発見時にはすでに手遅れだったことでしょう。

ところが、多くの被害者の方々が、死亡ではなく心肺停止だと報じられました。

もちろん、まだ蘇生の可能性があるうちは、そう表現すべきです。しかしそれにも、限度があります。

何時間たっても次の日になっても、あり得ないほど長時間、心肺停止状態だと言い続けるのもどうなのか。

それが確定するまでは「死」という言葉を軽々に用いない。これが日本人の「情緒」なのでしょうか。

医師の確認がないとか、搬送方法や法律的扱いに違いが出るとか、死亡と断定しない理由もあるようです。

しかし海外のメディアは最初から、心肺停止者も死者とカウントして報じています。じつに科学的です。

一方で、日本のメディアが報じた死者数は、初めは少なく、その後時間を追うごとに増えていきました。

このような日本式の報道では、瀕死の重傷者がだんだん亡くなっていったようにも、受け取られかねません。

まあ心肺停止と言われても日本人にはピーンとくるのですが、外国人にはわかりづらいかもしれません。

蘇生の可能性があるからこそ心肺停止と言うのであって、可能性がないなら別の表現を使うべきでしょう。

Windows10

Microsoftが発表した次期OSは、世間の予想を裏切って、「Windows9」ではなく「Windows10」でした。

抜本的な刷新なので「9」をとばしたとのこと。飛躍の大きさを示すために、数値を盛ったわけですね。

しかしこの先、バージョンアップが進んだとしても、数値が大きいほど新しいとは限りません。

なにしろ95や98は使用済みです。それどころか2000という大きな数値すら、使ったことがあるし。

ところで、Macの古いOSについては、ご存じの方も少ないかもしれません。

私がNECの<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-835.html" target="_blank" title="PC-9800シリーズ">PC-9800シリーズ</a>からApple Macintoshに改宗したころ、MacのOSは「漢字Talk 2.0」でした。

「漢字Talk」というのは、MacのOSである「Mac System Software」を日本語化したものです。

NEC PC-9800シリーズのOSはもちろん「MS-DOS」。これはWindowsのご先祖様みたいなOSです。

MS-DOSと漢字Talkとで何が違うかって、まず、画面の色でした。

今では当たり前ですが、当時のMacは、白い紙やノートの上で作業をしているような感覚が斬新でした。

一方でMS-DOSパソコンは、基本的に黒画面。その画面に命令を打ち込むのが、通常の使用スタイルでした。

ビル・ゲイツがMacのOSをマネしたかどうかは考え方によりますが、その後Windowsが登場しました。

Macに追いつけ追い越せのつもりだったのでしょうが、当初はまったくデキの悪いOSでした。

しかしその後どんどん改良され、デキはともかく、商業的には完全にMacを圧倒することとなりました。

Macの現OSは、OS 10を意味する「<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-171.html" target="_blank" title="OS X">OS X</a>」。Windowsが今回あえて「10」にしたのも、意味ありげです。