戦後のスギ植林

スギ花粉症といえば、この時期いちばんありきたりな疾患ですが、日本以外ではほとんど見られません。

スギが日本固有の樹木だからです。

戦後の日本では、木材不足を解消するため、多くの天然林が成長の早いスギに植え替えられました。

その大規模植林のツケが、スギ花粉症というわけです。その意味では「人災」とも言えます。

では、スギという樹木は、戦前の日本にはほとんど生えていなかったのか。

その疑問を感じていたとき、ふと、唱歌「お山の杉の子」を思い出しました。戦時中に発表された歌です。

「昔 昔 その昔 椎の木林のすぐそばに 小さなお山があったとさ あったとさ」

この冒頭は有名ですが、よく調べてみると、戦後に改変される前の5番の歌詞はこう始まります。

「大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船 傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家」

つまり、戦時中または戦前から、スギは木材として有用だったことがわかります。

「これこれ杉の子 起きなさい」なんて歌詞はまさに、植林したスギの幼木への呼びかけそのものです。

ちなみに前述した5番の歌詞は、戦後改変されて「戦争色」が消えました。

「大きな杉は何になる お舟の帆柱はしご段 とんとん大工さんたてる家 たてる家」

いかにも戦後っぽくなりましたが、歴史的資料としての価値は、やや失われた感があります。