「富士山」が、世界遺産に登録される見通しとなり、地元は沸いています。
ただし、「信仰の対象と芸術の源泉としての価値」を認めた、「文化遺産」としての登録です。
しかしそもそも富士山は、あの偉容と噴火活動があったからこそ、信仰され、浮世絵にも描かれたはず。
つまり本来は「自然遺産」として登録されてしかるべきものでしょう。
ゴミ問題ごときで諦めて、どうしますか。
文化遺産の側面もあるというのなら、両者の基準を兼ね備えた「複合遺産」を目指せばいいのです。
自然遺産の定義は「学術上または保存上または鑑賞上の、顕著な普遍的価値がある場所」とされています。
では富士山は、どのような観点から、普遍的価値があると言えるのか。
学術的価値と言っても、富士山のようなコニーデ型火山は、じつはそれほど珍しくないそうです。
すでに観光地化した富士山麓は、誰が見ても環境保存状態は不良。保存上の価値には説得力がありません。
富士山の写真を見ると、こどもの落書きみたいな「ブルドーザー道」にはがっかりします。
結局、富士山の普遍的価値とは、少し遠くから眺めた富士山の、鑑賞上の価値だと私は思います。
たとえばそれは「三保松原から見た富士」なわけです。
この「自然美」がユネスコには理解してもらえないというのなら、それはしょうがありません。