捏造との境界

大阪市職員の不祥事で、関西テレビが内部告発者とした映像が、実は番組スタッフの後ろ姿だったとのこと。

告発者本人が撮影を拒んだための「代役」らしいので、捏造とまでは言えないかもしれません。

しかしそれなら、資料映像を出すとか、黒画面にして音声だけ流すとか、やり方はあるでしょう。

必要な「画(え)」が撮れなければ作る、という点では、捏造と同じです。

マスコミの捏造は数知れずありますが、よく知られているのは、朝日新聞の「サンゴ捏造事件」でしょう。

観光ダイバーによるサンゴ礁の損傷を告発するために、悪質な損傷例を「自作自演」してしまった一件です。

たとえ目的が社会正義であったとしても、それを実現するための捏造という手段は、正当化できません。

しかし、積極的な「工作」はなくても、捏造と紙一重の取材は多いと思います。

例えば記者が、サンゴの損傷を期待して、たちの悪いダイバーたちを密着取材するような場合です。

期待した通り、ダイバーがサンゴを傷つけてくれたその瞬間、「いい画が撮れた」と喜ぶのでしょうか。

これはもう、限りなく「自作自演」に近い「共同制作」みたいなものでしょう。

ドキュメンタリー番組などを見ると、そんな捏造スレスレのものが多いような気がします。