「自由に喫煙できる居酒屋の空気は、大気汚染がひどい日の北京と同じ」
日経がこのような論調で、受動喫煙の問題を提起しています。両者のPM2.5濃度が同程度だというのです。
これを聞いて私は、北京市内は居酒屋並みにモウモウと煙っているのかと、あらためて驚かされました。
記事の趣旨は、大気汚染を怖がるよりもまず、身近な受動喫煙を怖れなさい、ということです。
それはわかりますが、例えが悪いと思います。
居酒屋などは多くの場合、受動喫煙を覚悟の上で利用します。それはある意味、自己責任です。
ところが、大気汚染はそうではありません。避けようがないのです。
そもそも、何かを例えて表現するときは、「既知のもの」を引き合いに出して「新規のもの」を説明します。
しかし日経の記事では、これが逆になってしまっています。
私たちは、中国から飛来するPM2.5には悩まされていますが、北京の大気汚染を実感したことはありません。
一方で分煙のできていない居酒屋は、だれもが身をもって知る、劣悪な大気環境です。
それなのに、北京を引き合いに出して、居酒屋のひどさを説明してどうしますか。逆でしょう。