是々非々

政治家って好きですね、この言葉「是々非々」。

他党との政策協議について質問されたときなどに、必ず登場します。「是々非々で対応します」と。

質問に対して具体的な返答を避けるために使われる、便利な言葉ですが、内容がありません。

「その都度判断する」「適正に対処する」「前向きに検討する」などにも似たニュアンスを感じます。

でも、語感が好きなので、いまマイブームです。家人に何か問われても、「是々非々」があれば万能です。

その語源をたどれば、「荀子 修身篇」だそうです。学校で習ったことがあるような無いような・・・

「是是非非謂之知、非是是非謂之愚。」という一節がその部分。

「是を是とし非を非とするのを知といい、是を非とし非を是とするのを愚という。」と訳すそうです。

つまり、「良いことは良い、悪いことは悪いと、道理によって正しく判断すべきである」ということです。

ところが政治家は、「ケースバイケースで考える」ぐらいの意味で、この言葉を使っている印象があります。

誤用と言うよりほかありません。

由緒正しい用例を求めて検索してみると、太宰治に突き当たりました。

「ロマネスク」の中で、喧嘩次郎兵衛を描写した部分。

「彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々の態度を示そうとする傾向があった」

太宰に言わせれば、政治家の使う「是々非々」は泣き言の意味のようです。