「6月10日」というタイトルの作文を書いたことがあります。中学生のときです。
その内容は、小学6年のときの6月10日に起きた事件についての思い出でした。
今から40年前の話ですが、脳細胞に活を入れながら、思い出してみます。
断片的な記憶で書きますので、中途半端な終わり方をするかもしれません。
当時、電子工学に興味があった私は「科学クラブ」に所属していました。
活動場所は理科室。
顧問の先生の名前は、忘れました。ややご高齢の理科の先生で、アマチュア無線の愛好家でした。
私を含めてほとんどの部員は、ラジオの作製とアマチュア無線の免許取得のための勉強をしていました。
しかしそんな中で、ひとり、化学実験ばかりやっている男がいました。
原君です。彼のお父さんは国鉄マンでした。
その日私は、いつものようにラジオのパーツをハンダ付けしていました。
一方原君は、水素ガスを発生させてそれを燃焼させるという実験をしていました。
多量に集めた水素ガスに、原君が着火した、まさにその時、爆発が起きました。
フラスコなどのガラス器具が粉々に割れて飛び散り、原君は顔などにケガをしました。
爆発音は、給食室にまで聞こえたといいます。
(追記)
中途半端すぎたので、後日談を。
私のラジオは、卒業までには完成しませんでした。
アマチュア無線の免許もとれず、その後興味も失せました。
後日談も中途半端。