モバイル時代

世界で稼働する、携帯端末などの個人用モバイル機器は、2016年までに80億台を超えると予測されるそうです。

つまり世界人口を超えてしまうわけです。

自宅でも職場でもどこにでも、なんらかのネット機器や端末がそこらじゅうにあります。

トイレにケータイを持ち込む若者も、増えているそうです。

iPhoneやiPadは、専用の防水ケースが売られているので、風呂でも使えます。

やがて普及するであろうスマートTVでは、スマホをリモコン代わりに使うと思われます。

照明をつけたり、エアコンの温度調整も、スマホでするようになるでしょう。

ひとたびリビングのソファーに座ったら、もはや体を動かす必要がなくなります。

モバイル機器が進歩するほど、人が「モバイル」でなくなっていくというわけです。

考えてみると、30年以上前の私の学生時代の生活にも、少し似ています。

当時、冬にはコタツの中で根の生えたように暮らしていました。

テレビも電話も部屋には無く、もちろんパソコンもケータイもゲーム機もありません。

手の届く範囲に、本や雑誌や食糧などの必要物品を配置し、蛍光灯のON-OFFは垂れ下がる長いヒモによって行い、ステレオのスイッチ類は長い棒を操ってコントロールしていました。

当時はそれでも、便利で快適な極楽生活と思っていたんですけどね。

集団登下校と交通事故

子供たちの通学時の悲惨な交通事故が、しばしば報道されます。

加害者の問題はさておき、新聞やテレビの報道を見ていると、気になることがあります。

「集団登下校がかえって被害者数を膨らませている」という論調があるのです。

それは違うでしょう。

まるで「自動車よりも飛行機の方が危険である」と言っているのと同じです。

事故1回当たりの被害者数が多いからといって、その方が危険とはいえません。

マスコミにはどうも、科学的思考力が足りないようです。

私が小学生の頃も、地区ごとの集団登校でした。

6年生のリーダーが一名、列の先頭で黄色い旗を持ちます。

あとは低学年から順に一列に並び、最後尾も6年生。

下級生が2列になったり後ろ向きで歩いたりしないように、上級生が指導するシステムです。

私がリーダーだった年、すぐ後ろは、尋常ではないほどのいたずらっ子の1年生でした。

前を歩く私に、毎朝「ちょっかい」をかけてくるのです。あれには閉口しました。

田舎だったせいか車の往来は少なく、交通事故を心配する雰囲気では無かったです。

規律を守って歩く、上級生の言いつけを守る、下級生には優しく、といったことを学ぶための集団登校でした。

大型連休

大型連休に突入しました。

暦通りなら3連休+4連休の飛び石、中2日にも休みをとれば全部で9連休。

思えば子供の頃は、いまよりも連休がずっと少なかった。

もちろん土曜日は休みではありません。「半ドン」でした。

だから、たまたま土曜日か月曜日が祝日だと、2連休になり、大喜びしたものです。

逆に、日曜日が祝日だった場合はガッカリ。休みは1日限り。大損した気分。

そりゃあんまりだろうってことで、月曜日が振替休日になったのはだいぶ後のこと。

小学生の頃のある年、5月4日はもちろん祝日ではありませんでしたが、その日がたまたま日曜日だったため、夢の3連休が出現しました。

日本中がこの大型連休に湧いたものです。

その後、週休2日の世の中になり、祝日はやたらに月曜日に寄せ集められ、いまや土日月の3連休は珍しくなくなってしまいました。

人々が大騒ぎするのは、もはや4連休以上だけです。

人間の欲望というものは、底知れぬものです。

ところで当院は「土日祝日診療」というのがウリです。定期休診日は火曜日と金曜日。

では、祝日が火曜や金曜だったらどうするか?

現在、火・金は、たとえ祝日でも、休診日としています。

つまり、「祝日診療」よりも「「火・金休診」の方が優先するわけです。

実は開院当初(最初の1年ぐらい?)は、「祝日診療」の方を優先していました。

「あそこは祝日でもやっているはず」という患者さんの期待を裏切るわけにはいかない、というのが理由。

しかし実際やってみると、定期休診日が祝日のためにフイになるのは、なんともやりきれません。

私一人の問題ではなく、職員やその家族の負担も考慮しなければなりません。

そんなわけで、職場としての「完全週休二日」を維持するために、「火・金休診」を優先しているのです。

ご理解をいただければ、幸いです。

全国学力テスト

全国学力テストが、小学6年と中学3年生を対象に、先週行われました。

賛否両論あるこのテスト。50年以上を経てなお、紆余曲折は続いているようです。

(1)導入期(1956年~1964年)

日本を支えるのは教育である、おおいに競争すべし、という高度成長期でした。

(2)中断期(1965年~2006年)

「過度の競走を招く」との日教組らの反対によって、テストは中断。成長の反動か。

(3)復活期(2007年~2009年)

日本人の考え方が成熟し、バランス感覚が出てきたのかと思っていたら・・・

(4)混迷期(2010年~)

民主党政権下では、全体の約3割の学校のみを対象とした「抽出方式」となりました。

コスト削減のため、というのは言い訳です。日教組の影響がまた強まったとみるべきでしょう。

ところで、全国学力テストは文科省の委託事業です。実際に行っているのは民間企業。

問題の作成から採点、集計だけでなく、学習環境調査結果などの情報までが、民間企業に握られるのはどうなのか。その点は問題視されています。

たとえば小学6年のテストは、2007年以来ずっと、ベネッセコーポレーションが実施しています。

文科省の入札に応じる企業も、2008年以降はベネッセだけになりました。

ベネッセにはどんどんノウハウが蓄積し、他社が入り込む余地がなくなっているのでしょうか。

そのうちベネッセから、「全国学力テスト対策問題集」とかが出たりして。

大富豪

韓国サムスンの会長が、メキシコの大富豪カルロス・スリム氏を招いて晩餐会を開いたとのニュースを読みました。

大金持ちが大金持ちとメシを食ったと。

何を食べたのか、気にもなりません。私にはまったく無縁の話題です。

「大富豪」と聞いて連想するのは「大貧民」ぐらいですから。

ただ、どこかで聞いたようなスリム氏の名前。

ネットで確認してみたら、世界長者番付3年連続世界一位の人でした。

総資産はビル・ゲイツを上回る、5兆円とか6兆円とかのレベル。

こういう金額が登場すると、悲しいかな、私は「1日いくら使えるか」を計算してしまいます。

毎日1億円使ったとすると、1年で365億円・・・これじゃ100年かかっても大余り。

それどころか、利息年1%の定期預金に預けたとすると、毎年数百億円増えていきます。

1日1億円の消費では、利息にも追いつきません。

貧民の思考はこのあたりが限界。

世の中というものは、大金持ちにはますますお金が集まるシステムになっています。

そのあたり、ゲームの「大富豪」と同じです。

かといって、「革命」が起きるのも困りますが。

ステーキ

熊本に引越してきた12年前、すぐに気付いたのは、ステーキレストランが少ないことでした。

その前に住んでいた高松には、客の前で焼いてみせる方式のステーキ店が多かったのです。

もちろん、うどん店よりは少なかったですが、ラーメン店よりは多かった(かも)。

子供の頃はそれを「ビフテキ」あるいは「テキ」と呼んでいました。

「今日はテキよ!」と母が得意気に告げると、食卓に出てくるのはケチャップ味の硬い肉片でした。

小学生の頃、家族旅行で東京に出かけたときのこと。

お上りさん丸出しで、某レストランで夕食。

お冷や(水)をもらおうと、父がウエイターに告げた一言。

「ウォーター!」

田舎者と思われたくなかったのです。

店員はさぞや笑いをこらえるのに必死だったことでしょう。

初めてまともなステーキを食べたのは、学生時代、友人の結婚披露宴でした。

待ちに待ったメインディッシュは、厚みのあるヒレステーキ。

慣れない手つきでナイフとフォークを駆使して、同じテーブルの友人達と競うように、すごい勢いでペロリとたいらげたものです。

「やっぱりヒレはうまいね」とか言っていたところに現れたのがウエイター。

ひとりひとりの皿に、うやうやしくステーキソースをかけて回ります。

危険運転とは何か

京都・亀岡市で10人を死傷させた無免許運転の少年に、「危険運転致死傷罪」の適用は難しいと言われています。

危険運転と認定するために、今回問題となっているのは以下の2点。

「故意かどうか」と「進行を制御する技能があったかどうか」

加害者の少年は「居眠りしていた」「一晩中運転していた」と言っています。

居眠り運転は、通常「過失」とみなされるそうです。

「事故を起こそうと思って居眠りしたわけではない」からでしょうか。

ならば飲酒運転は、なぜ「故意」とみなされるのでしょう。

事故を起こそうと思って運転しているわけではないはずです。

飲酒運転が危険とは承知の上で、飲酒し、運転するから「故意」なのです。

今回の事件に当てはめてみましょう。

一晩中運転していたために極度に眠く、小さな居眠りを繰り返すような状態だったことでしょう。

事故の危険があることには、気付いていたはずです。

それなのに運転を継続した。だから「故意」が成立すると考えるべきでしょう。

「一晩中運転していた」のだから「進行を制御する技能はあった」とする理論はナンセンス。

居眠りした時点で「技能」は失われているからです。

太陽光発電のセコ技

再生可能エネルギーの固定価格買取制度が、今年7月から始まります。

太陽光発電電力の買い取り価格は、1キロワット時あたり42円になりそうです。

かつて<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-110.html" target="_blank" title="「全量買取」は私の悲願">「全量買取」は私の悲願</a>でもあったのですが、悔しいことに、家庭の太陽光発電は今まで通り「余剰買取」のようです。

しょうがないので、「余剰買取」で最大限のトクをするために、セコ技を探求していきましょう。

原理は簡単。「余剰」を「全量」に限りなく近づければ良いのです。つまり

「発電した電気は、できるだけ使わない」

(1)天気の良い日は外出する

私の経験上、午前中は意外によく発電するようです。なので朝から外出。日没後に帰宅。

間違えても、外出中に洗濯機・乾燥機等のタイマー運転などしないこと。切れる電気は切る。

(2)電気は夜使う

食器洗浄や洗濯、アイロンがけ、浴室乾燥、映画鑑賞、ダビング、勉強、ブログ執筆、各種充電など、夜できることは夜すること。

このセコ技は個人的な節約になるだけでなく、昼間の電力消費を減らすので社会全体にも有益です。

家庭の余剰電力の買い取り価格は、太陽光発電の導入時期によって決まり、10年間補償されます。

一昨年導入した我が家の場合、1キロワット時あたり48円。なんと、夜間電気料金(8.05円)の約6倍です。

考えてみるとすごいことです。

つまり、昼の電力消費を浮かせて売電して得る電気代(収入)が、同じ電力消費を夜10時以降に行ったときの電気代(支出)の、約6倍なのです。

そう思うと、やる気が出ますね。

首都移転

数日前に東京都は、首都直下地震の新たな被害想定を発表しました。

遠慮の無い、なかなか科学的な分析で評価できます。

そのなかで、「防災対策の取組状況」については、以下のようにまとめられていました。

(1)耐震化の推進

(2)津波対策

(3)木造住宅密集地域の整備

(4)自助・共助の強化

あれれ。何か抜けていませんか。

さすがに東京都は、口が裂けても言わないでしょうから、私が付け加えましょう。

(5)首都機能の移転

例によって、新聞各紙の社説を読み比べてみると、読売と産経のみが、首都機能移転について触れていました。

この2紙、イデオロギーだけでは説明できない、絶妙な立ち位置です。

面白いのは、その首都機能の移転(または連携)先。

読売は大阪を例に挙げ、産経は福島を提案していました。

ならば手始めに、東電本社を福島に移転してはどうでしょう。

すきま時間

仕事ができる人間は「すきま時間」を有効に使っている、なんてことが言われています。

考えてみると私自身、日々の診療の合間に、数分単位の「すきま」が何度も何度も出現します。

それらを全部足すと、毎日かなりの時間になることは間違いありません。

これを使わない手はない。では、この細切れの時間で、いったい何をしようか。

そこで思いついて始めたのが、「新聞を読む」こと。

全国紙5紙(朝日、読売、毎日、日経、産経)を、Webで乱読しています。

ひとつの記事や特集は、それぞれ数分で読めます。まさに「すきま」向き。

読み始めてみると、なかなか奥が深い。毎日が発見の連続です。

新聞の良いところは、その鮮度の靍さと、適度に練られた解説。

一方で悪いところは、我田引水、偏った論調。

先日の<a href="http://tsuruhara9linic.blog116.fc2.com/blog-entry-197.html" target="_blank" title="尖閣諸島買取のブログ">尖閣諸島買取のブログ</a>で書いたのが、その一例です。

新聞が正しいという保証はありません。

むしろ「新聞のウソ」を探りながら読むのが、また楽しいものです。

というわけで、私のすきま時間の活用法は、読書ならぬ「読紙(どくし)」です。