脱原発を突然宣言した菅首相は、ドイツの首相とは正反対に、厳しい批判を浴びています。
すなわち、延命のためのパフォーマンスではないかと。
行き当たりばったりで、閣内も不一致。どんな「いいこと」を言っても、与党内にすら同調の声はあがらず、「早く辞めろ」と言われるばかり。
すでに退陣を表明した首相が、一国の方向性を変える重大な発言をして何の意味がある、そのような疑問も聞かれます。
私はしかし、敢えて菅首相を不器用な善人と考えて、以下のように推測してみました。
いまの菅首相は、四面楚歌ながらも、権力はまだ手中にあります。ある意味「怖いものなし」状態です。
こうなったら、最後に「自分の良心にしたがって」やりたいことをやっておこうと、開き直っているのではないでしょうか。
かつて首相が浜岡原発停止を指示したとき、その根拠は、その地域において比較的高い確率で大地震が起きる可能性があるから、というものでした。
原発というものが、「何が起きても安全」ではなく、「大地震の場合には危険である」ということを、そのときすでに、首相は認めていたわけです。
ところが大地震は日本のどこにでも起こり得ます。浜岡よりも確率が低くても、起きてしまえばどちらも同じ、大災害です。
浜岡を止める理由があるのなら、その理由はすべての原発に当てはまってしまう。
そういったことを自問自答した結果、ついに菅首相は、正義は脱原発にあり、という結論に達したのかもしれません。
「ストレステスト」の提唱で間接的に脱原発を試みたものの、世間の不評を買ったので、ついに、やぶれかぶれの直球勝負に出た。
そのように私はみていますが、かいかぶりすぎ?
(追記)
首相はその後、「脱原発は私(個人)の考え方」と修正発言。やぶれかぶれも中途半端。