心臓移植

海外で心臓移植手術を受けるための、ある募金活動について、今朝の朝ズバが特集していました。

こういう報道を見ると、いつもふたつのことを思います。

親の行動力と「助け合い」の力がこどもの命を救った、という「感動」がそのひとつ。

もうひとつは、移植を待つ外国のこどもたちの順番に、日本人が「割り込んだ」ことへの「申し訳なさ」です。

1999年に、日本での脳死移植が始まりました。

「脳死は人の死か」という議論が巻き起こり、欧米人とは異なる日本人特有の感情、倫理観・宗教観・死生観が、日本に脳死移植が定着するのかどうかを、疑問視させました。

しかしもう一つ、強行して行われ、なおかつ失敗した1968年の「和田移植」が、日本人に「移植アレルギー」を招いたことも事実でしょう。

ひとつ「コト」があると、いっせいにアレルギー反応を呈して、その結果大事なことを遅滞させてしまう、日本人の一面です。

強烈なプレッシャーの中で手術を成功させた12年前の移植チームには敬意を表します。

当時とは打って変わって、最近では脳死移植がいちいち全国ニュースになることもなくなりましたが、これは移植医療が定着したというよりも、日本人の「熱しやすく冷めやすい」気質のせいかもしれません。

事実これまでに、脳死心臓移植は91件行われただけです。昨年は23件と年間最多でしたが、それでもアメリカの1%のペースです。

そのアメリカの年間2千数百件の中に、日本人への移植も含まれることを忘れてはならないでしょう。